この度、日本化学会長に就任いたしました。長く化学を学び、化学と化学者の社会における重要性を認識する者の一人として責任の大きさに、身の引き締まる思いでおりま す。我が国政府は新たな科学技術基本計画において基礎科学の推進とともにライフサイエンス、情報技術、ナノテクノロジー・材料、そして環境の4分野の研究の重点的充実 を打ち出しました。化学は物質(もの)の科学であり、常に自然科学の中心に位置するものですが、上記重点分野にも横断的にかかわるものであり、技術面からも多様な役割 が期待されています。私達は、現在地球上の人口爆発と近代社会の価値観のはざまで、多くの矛盾を内臓した複雑な時代に遭遇していますが、化学者として21世紀の新たな 国の内外の付託により積極的に応えるべきであり、そのための意識変革が求められます。
私達はそれぞれに自己責任を自覚した上で、大局を見失うことなく、あるべき方向に確実に歩む必要があります。真当にして高水準な研究・生産活動とともに、最優先すべ き課題は新時代の担い手の育成です。特に中核的大学における大学院教育には抜本的な質の向上が求められます。G7の一翼を担う我が国の最高の人材養成機関ですから、 当然国際的に第一級のリーダーたる若者を輩出する責任が問われます。今や伝統的な化学分野の知識や技術の修得だけでは不十分であり、広範な視野をもつ柔軟思考のリーダ ーの育成が求められます。化学は元来広大な裾野をもつ分野ですが、昨今の研究の細分化には目を覆うものがあり、この傾向は、教育にも多大な連鎖的影響を及ぼしています。 研究成果の評価の問題とも関連していますが、社会における人材の需給状況も勘案した上で、新たな教育的配慮が不可欠です。第二に、我が国においては、国際的、社会的な 発言力が貧弱なために、研究活動の貢献度が過小評価されています。研究者個人だけでなく、組織や国として知的存在感を示すための仕組みの工夫と技術の向上が必要です。 第三に、近い将来のアジア諸国の発展と地位の向上は必然かつ急速であることを銘記しなければなりません。我が国が欧米とならぶ第三極の主導権を確実にするためにも、若 い世代は自身のこととして人的交流をはじめ、各国との協同作業を積極的に進める必要があります。最後になりますが、より長期的には、女性科学者に期待するところが極 めて大です。社会が活躍の場を用意すべきことは当然ですが、女性自身にも新たな科学的価値の創出にむけてより努力をしていただかねばならないと考えています。
現在国際的水準において、化学が我が国が最も競争力をもつ分野の一つであることは明白です。しかし、私達が問われていることは、自然科学全体における化学自身の力量 であり、また、経済をはじめとする社会全体に対する化学産業の影響力です。研究の創造性は究極的には個人に帰結します。しかし、研究成果が評価され、また波及効果を生 むためには場が必要です。日本化学会は、会員各位がそれぞれの立場で誇りをもって活動できるよう、機会を提供する努力をしたいと考えます。